タガマヤ村近くのパワースポット





    石子神社はタガマヤ村から徒歩5分の子宝で有名なパワースポットです


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    ※常に人はおらずお堂は閉まっております








    御嶽神社(みたけ神社)はタガマヤ村から徒歩8分の所にあるパワースポットです
    すぐそばには石子沢が流れ夏でも涼しい不思議な空間です








    中山町の伝説  御嶽神社(みたけ神社)

    祭神・例祭・由緒

    大山祇神(おおやまづみのかみ) いざなぎいざなみのこ



    大山津見神ともいう神で大山に住む即ち大山を司る神、山神でである。
    愛媛県の大山祇神社から神霊を勧請されているのが例であるが、ここの神社は不詳となっている。

    山霊を尊ぶことは有史以前よりあったことは柳沢のみでなく、おそらく集落発生の時代から住民が農耕のすべてを知らない頃からの風習の名残りと考えられる。

    御嶽神社境内は昭和36年、縄文中期から後期にわたる(約4,500年~3,000年前)集落遺跡であることがわかった。
    出土品には石皿、磨石(すりいし)、凹石(くぼみいし)、石斧(打製・磨製)、土偶片など多数あって古い遺跡であることがわかった。


    奉納絵馬

    御嶽神社に6点の絵馬が奉納されている。
    嘉永7年(安政元年・1854年)村山地方の有名俳人たちが「俳額」を奉納していて、柳沢の地が俳諧が盛んであったことがわかる。

    明治23年(1890年)和算の上達を神様に祈る「算額」も土地の人が納めている。

    大正元年(1912年)若くして亡くなった子供を供養するため婚礼の様子を描いた村山地方独特の「ムカサリ絵馬」が奉納されている。







    タガマヤ村から車で3分

    山形県指定文化財 旧柏倉家住宅(九左衛門)
    じゅうようぶんかざい きゅうかしわくらけじゅうたく(くざえもん)
    約2300坪の敷地に建物が約427坪の学術的にも貴重なお屋敷

    九左衛門は、近世の上層農家の形式を継承した大規模住宅。
    近代の発展を語る、主屋の座敷や銘木による精緻な内装。
    漆塗りや金箔で荘厳な仏蔵、春慶塗で華やかに彩る前蔵の上質な蔵座敷。
    山形県村山地方における屋敷構えを特徴とした、「明治期の南東北地方における上質な農家建築」として高く評価されている。左衛門は、近世の上層農家の形式を継承した大規模住宅。
    近代の発展を語る、主屋の座敷や銘木による精緻な内装。
    漆塗りや金箔で荘厳な仏蔵、春慶塗で華やかに彩る前蔵の上質な蔵座敷。
    山形県村山地方における屋敷構えを特徴とした、「明治期の南東北地方における上質な農家建築」として高く評価されている。


    住所  山形県中山町岡8
    営業時間  【開館日時】 土 日 祝日 10:00-16:00(最終入場15:30)
    休業日  【休館日】 月 火 水 木 金(祝日を除く)  12月1日~2月28日まで冬期休館
    料金 【入館料】 500円(中学生以下無料)

    アクセス
    JR左沢線羽前長崎駅より徒歩20分またはタクシー3分
    山形自動車道寒河江I.C.より車で5分
    山形空港より車で20分

    駐車場 15台 (無料)
    ウェブサイト Twitter
    ウェブサイト 公式サイト

    問い合わせ先
    旧柏倉家住宅(九左衛門)
    電話番号 023-687-1778


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    山形盆地を一望に見渡せる旧豊田村岡地区に、江戸時代に山形城下の大庄屋を勤めた柏倉九左ェ門家住宅が建っています。
    柏倉九左ェ門家は、約4,000坪の敷地に、建物が360坪の豪壮な屋敷で、構造は学術的にも貴重な存在となっています。

    主屋の南方には、京都東本願寺を縮図にした内陣、21畳敷の外陣造りをしつらえた蔵造りの「佛間」があり、鎌倉時代の三代名工の一人の作と云われる阿弥陀如来像が安置されています。

    佛間前にある這松は樹齢500年を数え、主屋の上座敷(県文化財指定)から望む、西南に展開する丘段を利用した、小堀遠州流といわれる築山庭園は別名「鶴亀の庭」とも呼ばれており、四季の草花に出会うことができます。












    柏倉九左衛門家ガイドサイトはこちら







    タガマヤ村から車15分の岩谷地区にはパワースポットの十八夜観音があります


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    庚申講(こうしんこう)







    タガマヤ村近隣の講(グループ)では今でも庚申講という昔からの信仰が続いています。

    庚申信仰は、元は中国の道教から生まれたものです。

    言い伝えによると、人のお腹の中には「三尸(さんし)の虫」というものがいるそうです。
    この虫は、干支が「庚申」となる日の夜に人々が寝静まると体から抜けだし、その人が行った悪事を天帝 (てんてい:宇宙を支配する神)に告げにいくのだそうです。
    そして、天帝が天の邪鬼(じゃき:たたりをする神)に命じると罰が与えられるので、皆、三尸の虫が抜け出さないように寝ずにお参りをしました。これが庚申まいりの始まりです。

    古くから貴族の間でこの習わしが行われていましたが、室町時代頃から民間でも盛んになり、各地で庚申講という集まりができて夜を徹して語り明かす風習が広まりました。

    「庚申(こうしん)」とは、暦の十干「庚(かのえ)」と十二支の「申(さる)」の組合せの日のことで、同じ組合せは60日に1回、年に6回(まれに7回)あります。

    同様に「庚申の年」は60年に1回巡ってきます。
    「庚申さん」と呼ばれている仏さまは「青面金剛明王(しょめんこんごうみょうおう)」です。
    もともとは疫病などを撃退する仏さまでしたが、三尸の虫を追い払う力があるとして、庚申まいりでは「青面金剛明王」を奉ってお参りするようになったのです。

    また猿は「青面金剛明王」の使いとされ、石像や掛け軸などに、共に描かれています。





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    タガマヤ村近隣のパワースポット地図

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