タガマヤ村の歴史

・ ここは室町時代から続く大地主で豪農一族のお屋敷であった
(出羽の国の大庄屋「柏倉家」とは親戚関係。「柏倉家」の詳細はこちら)
・ 旧家では座敷わらしは「自分の家を守る神様」として他人に口外することなく大事に祭られてきた
・ 現在の古民家は明治時代に新しく立て替えられたものである
(かわら屋根の内側にかやぶき屋根がそのまま残されている)
・ 平成時代になり所有者が土地を手放すことになる
・ 半助の枕元に座敷わらしが現れ「この地で人に喜んでもらうことを始めれば永遠の幸せがやってくるであろう」と告げる
・ 半助は悩んだ末に1,500坪のこの土地を守っていくことにする
・ たくさんの人に喜んでもらえるようにこの屋敷を宿屋にすることに決める
・ 一度聞いたら誰もが忘れぬようにタガマヤ村(やまがたの逆さ読み)と名づける
・ 旅館業の許可が下り開業、一般の人が宿泊できるようになる
・ 開業当初から宿泊客が夜中に座敷わらしを目撃したという声が多数よせられる
・ 座敷わらしはここに泊まってくれた人に様々な幸せを与え始める
・ 平成23年3月11日に千年に一度の大震災が東北地方で発生する
・ 大地震による地殻変動で今まで長い眠りについていた他の座敷わらし達も再び活動を始める
・ 座敷わらしは困っている人や幸せを求める人を助けるために頻繁に現れるようになり、たくさんの奇跡が生まれる
・ タガマヤ村に泊まった後に急に運気が上がった、幸運が舞い込んだ、彼氏・彼女ができた、病気が治った、結婚できた、子供ができた、宝くじに当たった、出世した、大学に合格したなど「泊まると幸せになれる宿」として評判になる
・ 雑誌やテレビで「タガマヤ村の座敷わらし」が取り上げられ次第に全国の多くの人に知られるようになる

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タガマヤ村の裏山数キロの所に「おしん」の撮影が行われた集落があった
そこの風景や茅葺きの家はスタジオセットのモデルにもなった
時は経ち集落から人は去り、茅葺きの家も今は朽ち果ててしまった